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遊戯王と物語A  父の屍を越えていけ

ロクデナシ親父の品評会

遊戯王に登場する「父親」は、
梶木の亡き父を除いてとても残念な、
酷い父親ばかりです。
作者の和希こと高橋和希先生みずから
「ロクデナシ親父の品評会」と評しています。
例えば社長の義父、海馬剛三郎は英才教育という名の
虐待を社長に施します。
城之内の父はろくに働きもせず
借金まみれで飲んだくれの駄目人間。
御伽の父は自らの復讐の道具として子を育て、
マリクの父は病的なまでに「一族の掟」を
遵守する結果、拾い子のリシドを虐待し、
マリクを追い詰めてしまいました。
みなすばらしい駄目親父です。

イニシエーションとしての「父殺し」

「父殺し」なんて物騒な言葉ですね。
このご時勢、あまり冗談になりません。
しかしこの「父殺し」、成長物語の重要な
要素のひとつなのです。
この駄目親たちは、少年が乗り越えるべき
「壁」です。
「父殺し」は父親越えの暗喩(メタファー)
であり、実際に殺害するかどうかは
あまり関係なく、「父」という何よりも
大きな「壁」を乗り越えることに
意味があるのです。

「父殺し」の失敗

遊戯王で「父殺し」代表と言えば社長。
社長は義父の会社、海馬コーポレーションを
乗っ取った際、義父、海馬剛三郎を自殺させました。
しかし社長は「父殺し」に失敗しているのです。

父親を殺害する=「父殺し」という
わけではありません。
社長は「父殺し」のために
海馬コーポレーションを乗っ取り
剛三郎を死に追い込みましたが
社長は剛三郎が自殺するとは
思っていませんでした。
皮肉にも父を物理的に
殺害してしまったがために、
「父殺し」が未完に終わって
しまったのです。

挫折からの成長

義父は死んでしまいました。
しかし、死してなお社長を縛り続けます。
いえ、むしろ死んで手の届かない
存在になってしまったことで
より強大な壁となってしまいました。

「死したことにより、
より大きな存在となる父」は、
梶木の父や、GXのエドの父にも
当てはまります。
なにも「壁」は押し潰さんと
迫り来るものだけではありません。
彼らもきちんと父親を乗り越えています。
そういえば二人とも「父」を
象徴するカードを持っていますね。

「父殺し」に失敗した社長の心には
義父の怨念と言う名のコンプレックスが
巣食い、行き場の無いエネルギーが渦巻きます。
そんなときに出会ったのが遊戯(王様)でした。
義父の死+「死の体感」のコンボでさらに
おかしな方向に行った気がしないでもないですが、
遊戯(王様)という標的を得ることで
それを成長の糧とすることができたのです。

戦いの末、社長は義父の怨念、
己が憎しみの象徴であるアルカトラズを
自らの手で爆破しました。
ある意味2度目の「父殺し」です。

アルカトラズを爆破した社長は
そのまま夢のためアメリカに旅立ちました。
それ以降社長は古代編には登場せず、
(神官セトの生まれ変わりなのに!)最終話に
ちらりと出ただけでした。
なぜなら社長は義父への憎しみや
コンプレックスに決着をつけ、
成長できたからです。
一時仮の場所で過ごし、成長し、
やがてそこから旅立つ――
「行きて帰りし」に見られる
成長物語のパターンです。
社長は王様より一足先に旅立ったのです。


遊戯王において「父殺し」は
「自立」のための要素のひとつです。
遊戯の父親が作中に登場しないのは、
別の方向からの「自立」を描くためです。
当初はゲームマスターとして現れ、
遊戯と戦うという設定を
考えられていましたが、
それは王様との別離後でないと
意味がないということで
ボツになったそうです。
遊戯王ファンの、古代編の補完――
史実編を求める声をよく耳にしますが
このボツになった「ゲームマスターVS遊戯」
も読んでみたいものです。
ジャンプスクエアあたりで読み切りとか……無理?


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