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遊戯王と物語@  王の帰還

「行って帰る」

物語の基本的な形に「行きて帰りし」
というものがあります。
日常の世界に住む主人公が非日常の世界を体験、
成長し、再び日常へ戻ってゆく。というものです。
行って、帰るのです。
なにも冒険や旅をするお話だけでは
ありません。
一時仮の居場所で過ごし、そして成長し
出て行く――こう考えれば
様々な物語に当てはまります。
そしてそれは通過儀礼、すなわち成人の儀式の
反映でもあるのです。
「行って帰る」という運動は、
成長物語の重要な要素です。
遊戯王も例外ではありません。

高貴なる者の放浪の物語

「高貴な生まれの者がとある事情で
その地位を追われ、放浪、あるいは
賤しい身分に落とされるもそこで
苦難を克服、活躍し、やがて地位や名誉を回復する」
と、こういう物語の形があります。
これは折口信夫という人が、
古い日本の物語の中から見出したもので、
「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」
あるいは「貴種漂流譚(きしゅひょうりゅうたん)」
といいます。
このパターンの物語は日本だけでなく、
西洋の英雄物語などにも見られるものです。
これも「行きて帰りし」を含んでいます。

聡明な方ならお気づきでしょう。
遊戯王は貴種流離譚の側面を持っています。
古代エジプトのファラオであった
闇遊戯(以下王様)は自らの魂と共に
闇の大神官を千年錘に封印。(高貴な者
がその地位を追われる)
時は流れ、千年パズルは遊戯(以下表)
に渡り、彼に組み立てられることで
王様の魂は現世に蘇ります。しかし
王様には過去の記憶がありません。
しばらく王様は闇の番人として
罰ゲームに精を出しますが、やがて
自分の過去を取り戻すための試練に
立ち向かいます。(放浪と苦難の克服)
そして自らの名前と記憶を取り戻した
王様は冥界へと旅立ちました。(地位、
名誉の回復)
遊戯王は、地に縛られた王の魂が
苦難を乗り越え、死者の在るべき
所へ還るという貴種流離譚とも
取れるのです。

死者の魂は現世に留まってはならない

「これは遊戯の…
もう一人の遊戯に対するメッセージ…」

闘いの儀を行う王様と表の姿から、
イシズはそう感じ取りました。
しかしそれは台詞そのままの意味では
ありません。
遊戯王は貴種流離譚で、貴種流離譚は
「行きて帰りし」を含んでいます。
行ったら帰らなければならないのです。

世の中には行ったきり帰らない、
あるいは帰れない物語もたくさんあります。
それは、キャラクターの心理的な問題であったり、
長期連載、打ち切りの弊害だったり、
作者の心理的な問題であったり、
それが作品のテーマ、コンセプトだったり、
いろいろな理由で「行きて帰りし」が上手く
できなかった、あるいはしなかったのです。
でも遊戯王はそうではありませんでした。
作者は貴種流離譚や「行きて帰りし」を
意識して描いた訳ではないと思います。
しかし、明確な意思を持って成長物語を
描き上げたのは確かです。
(「自立」がテーマのひとつだと
明言されております)

表は決して「死者の魂が現世に
とどまってはならない」から
戦いの儀を受けたわけではありません。
友が「帰る」後押しのためなのです。

……少々こじつけがましかったでしょうか。
しかしこの成長物語としての端正さが
遊戯王という物語の強靭さに繋がっていると
思います。
遊戯王の強靭さについてはまたの機会に。


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